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大正浪漫展示室2階~大正期(1912~1926)の資料~ 

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雑誌「日本少年」嗚呼乃木大将(1912)

雑誌「日本少年」嗚呼乃木大将(1912)

明治天皇の崩御後、殉死した乃木大将の特集号。長州閥の軍人であり、日露戦争での旅順要塞攻略における指揮ぶりなど、後世の軍人としての評価は決して高くはないが、その人間性は高く評価されている。学習院院長なども歴任。  明治天皇崩御後の殉死により、その名声を決定的なものとし、以後、太平洋戦争終結までは「軍神」として祭られた。  なお、東京赤坂にある「乃木坂」は、殉死後、当時の赤坂区議会が改名したもの。彼がいなければ今日の「乃木坂48」も全く違う名前だったのだろう。 写真クリック後、「go to link」を押せば詳細ページへ。

立体双眼鏡と写真のセット(1915)

立体双眼鏡と写真のセット(1915)

大正3年(1914年)頃の立体双眼鏡、及び写真41枚のセット。本体には、第五回内国勧業博覧会、及び東京勧業博覧会で受賞したことが刻印されている。  写真41枚は、当時の風俗が良く表れており、また手彩色の物も多くとても美しい。  本体、写真ともに東京神田区の「活画館」のものである。

国産蓄音機ユーホン1号(1915年頃)

国産蓄音機ユーホン1号(1915年頃)

NIPPONOPHONE(ニッポノホン/日本蓄音機商会)/ユーホン1号卓上蓄音機は100年ほど前の明治末期、純国産としてラッパに替わるホーンを筐体内に内蔵した卓上蓄音機最初期の名機(国産1号機)。 当時の販売価格は30円。およそ当時の一般庶民の月給程度に相当。当時多くの外国製蓄音機がまだまだ高嶺の花だったのに対し、庶民にも手の届く価格で大ヒットを記録。 現在にも通じる高密度筐体は小さな日本家屋に良く馴染み、機械やアーム、サウンドボックスなどの違いで同じ1号でも数種のバージョンがある。設計的には後年の蓄音機と比べ機械面などさすがに古さは認められる。しかし、手に持った感覚は小さいながらけっこうずしりと重く、普及機とはいえ高級感がある。 大ベストセラー機なので市場でも見かけることはあるが、良い状態の物は希少。

仏Japy Freres の置時計

仏Japy Freres の置時計

神殿型の置時計。非常に格調の高い名品。刻印から、1870-90年に製造されたものと推定。日本に輸入されたのは、明治末期から大正期にかけて、と思われる。

精工舎のオルゴール時計

精工舎のオルゴール時計

精工舎のオルゴール時計。大正期のものと思われる。オルゴールの曲目は、「汽笛一声新橋を♪」で始まる「鉄道唱歌」。

世界的大偉人 大隈侯記念寫眞帖

世界的大偉人 大隈侯記念寫眞帖

大正11年、佐賀藩出身であり維新の元勲たる大隈重信の死を悼んで発行された写真帖である。 大隈重信は、薩長閥以外では初の内閣総理大臣であり、早稲田大学の創設者として有名。 ちなみに、大正まで生きたの明治の元老としては、大隈の他、 ・山形有朋(長)大正11年没 ・松方正義(薩)大正13年没 ・井上馨(長)大正4年没 ・大山巌(薩)大正5年没 ・西園寺公望(公卿)昭和15年没 などが有名。

氷コップのコレクション

氷コップのコレクション

明治末から大正期にかけての氷コップのコレクションの一部。 詳細はgo to link を押してください。

Last update 2015.8.6

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北海道函館市(仮)

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